スーパーグローバルハイスクール研究報告書
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−116−第4部生徒による成果物■小論文 「敬語」についてのエッセイを読んで、「敬語について」自分の意見を書く。 現代日本をもっとも特徴づける文化、それが敬語である。ところで、我々は普段から日常的に敬語を使用しているが、敬語とは言葉通りに「敬意」を表す言葉である。相手に対する敬意を表現するために普段とは異なる言葉、言葉遣いを用いる。つまり、元々内在的に経緯が存在しており、それを表に出すために敬語を使用しているのだ。しかしながら、この因果関係が逆転している場合が少なからず存在する。敬語を使うことで本来存在していない敬意を表面的に表現しようとするということである。この「敬意」がこもっていない「敬語」は形式上の空虚なものでしかない。敬語を敬語たらしめる内在的要素がそこには存在していないからである。この敬語は表面的なものであり、もはや意味すらも持たない存在価値を持たない文化である。 しかし、敬語が表現するところは敬意だけではない。客として店に入ったときや初対面の人と話す際には、多くの人が丁寧語を用いるだろう。ここで我々が表明しているのは、相手との距離感である。相手と距離を置くことで自らのパーソナルスペースを保持するのが、ここでの敬語の目的である。この敬語は無価値とも無意味とも言えない。本来の目的が形式上のものとなることとなく果たされているからである。すなわち、「距離」を表現する敬語を否定することはできないということだ。 私は、敬語は使われつつも、現代風に変化させることが大切だと思います。 敬語は日本のはるか昔から相手を敬う気持ちとして使われてきました。しかし、このような表現は、難しいことが多く、多くの日本人が使い方を間違えて敬語を使っています。日本のように複雑な敬語表現のある言語は世界を見れば珍しく、日本独自のものといえます。しかしながら、このような言語は、国際社会においては、煩わしいものといえるのではないでしょうか。私は、特に難しい謙譲語などを使うべきではないと考えます。丁寧語などをそのまま使い続けることにより、日本語の礼儀を重んずる姿勢は保たれるのではないかと考えます。日本の文化をより理解し、浸透させるためには、現代風に合わせてより分かりやすく、受け取ってもらいやすくするべきです。そうすることによって、日本語を学ぶ外国人は理解しやすくなり、より多くの人が学ぶことができるようになるのではないかと思います。そうすれば、日本語の話者はふえ、日本文化が保たれるようになると思います。 このようにすることで、日本語はより分かりやすくなるので、私は敬語については現代風に使われるべきだと思います。

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